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読者には誤読の権利がある

だから勘違いした感想書いてても許してほしい

語るのではなく魅せる物語「傷物語・鉄血篇・感想」

 

1月8日に傷物語を観てきました!

何年越しだよ、という話ですが……観終わった今となってはああこれは数年かかるわ……という感じでした。

結構忘れっぽいので、詳細に感想を書くことはできないのですが、思ったことをがんがん書き綴っていこうと思います。

 

感想

これは誰もが口にすると思いますが、傷物語「アニメーションとして素晴らしい」

キャラがヌルヌルと動きまくる。目線の動きや、身体の躍動感、どこを切り取っても一枚絵として完成されている。これはもう観ていて震えがくるレベルでした。あまりにも素晴らしいものをみるとそこに狂気を見出してしまうのは人間の常ですが……傷物語はそういう領域にいる作品だと思います。これを描くのに何年かかるんだよ……と普通に怖くなった。

アニメーションの素晴らしさは「観ていて気持ちいいか」だと思うのですが、これが本当に素晴らしい。特に羽川は画面に登場しているだけで快感指数が上がるレベル。ぴょんぴょんと跳ねながら阿良々木くんに近づくシーンがあるのですが、もう即座に巻き戻して繰り返して観たくなるくらいの気持ちよさ。胸が重力を忘れたように揺れてるシーンとかもう釘付けでした

絵の素晴らしさといえば血塗れのキスショットも良かった。

切断された腕が地面につくと、断面が重力ですこしひしゃげるんですよ!これはグッときたなー! アニメで腕をもがれてもあんまり感慨がないのだけれど、このシーンは腕が切断されたことでのっぴきならないことになっているという説得力がありました。「人間は肉である」という実在感が最高です。

傷物語は画面に映るアニメーション細やかさ、描写力だけで観続けてしまうくらいの牽引力があると思います。

それぐらい作画はよかった。良いところを挙げればキリがない。キスショットが教壇で足をぶらぶらしてるシーンとか、それにあわせてちゃんと肩も動いてて……とか……。

もう最高だよね!!!!!!!!

 

しかしこの絵的な美しさ、アニメーションとしての凄さを意識するあまりに全体のテンポが非常に悪い。

特にキスショットと初邂逅する場面は、絵的には素晴らしいし、ちゃんとそうする意味も汲み取れるのだけれど……さすがに長ったらしい。

傷物語は全体的に素晴らしい出来なのですが、この「テンポの悪さ」だけは擁護できない点だと思います。

 

けれど、傷物語は従来の物語シリーズとは違う方法論で描かれているので、そう感じるのもしょうがないのかもなと思いました。

傷物語が従来の物語シリーズと大きく違うのは阿良々木暦のモノローグを封印したことです

化物語化物語たらしめている要素のひとつは「阿良々木暦のモノローグ」であることは周知の事実であるとは思いますが、今作ではそれをほぼ用いてません。

記憶が定かではないですが、モノローグがあったのはキスショットを助けるか否かを葛藤するシーンと、忍野と対面した場面くらいじゃないでしょうか。前者はモノローグっていうよりも、感情の吐露って感じなので、実質モノローグはほぼないと思っていいでしょう。

これにはかなり驚きました。僕がこの映画を作るならば、「この物語はバッドエンドだ」という阿良々木暦のモノローグから始めるのが筋だろうと思い込んでいたので。

これまでの物語シリーズを継承するならば、例えば「エロ本を買いにいくシーン」は、モノローグをガンガン入れて面白おかしくしていたと思うのですが、今回は絵的に面白いだけの描写になっています。

「モノローグが排除された物語シリーズなんて物語シリーズとして成立するのだろうか?」と傷物語を観る前の僕なら思ったのでしょうが、傷物語を観たあとだとそうは思いません。

モノローグの代わりに用いられた要素が本当に素晴らしいからです。

 

要素のひとつは「声」。つまり神谷浩史さんの演技です。

モノローグがなくなったことで必然的に喋る機会が少なくなってしまった阿良々木くん。傷物語は阿良々木くんの心中の描きかたを大事にしなければいけない作品なのですが、モノローグなしでも充分すぎるくらい声の説得力がすごかった

今回、神谷さんの演技がマジですごい!! 特に序盤の10分。一言も喋ってないんだけれど、吐息の使い分けだけで単一的でない感情を描ききっている。吐息ひとつでこちらに心情を想起させてくれる!

言葉ではなく声に情報が込められていることで、モノローグなしでも物語がある程度の推進力を持ち得たと思います。

 

そしてもうひとつが「絵」です。もう傷物語はとにかく「絵」です。「絵が凄い」という一点だけでもとてつもない素晴らしさをもっていると思う。

「モノローグが使えないのならば絵で語る」とでも言わんばかりに、目の動きや身体の動き、立ち位置、距離感、背景で情報を入れてくる。

エロ本を買った帰り道におびただしい量の血液をみた阿良々木くんが「エスカレーターに乗る」というのも絵で心情を説明している例のひとつだと思います。

原作では道端で出会ったことになっているのですが、映画では「自分の意思とは関係なしに物事が進んでいってしまっている」ということを絵で説明する為に改変したのではないかと思います。機械的に歩いているのもその一端じゃないかな?

キスショットの泣き声に赤ちゃんを重ねたのも「生きたいという渇望が~」というのを言葉を用いずに強烈に表現する為だったりとか。

あとドラマツルギーたちの声がぐちゃぐちゃになっているのも「阿良々木くんが混乱していて言葉を言葉として捉えることができない」という心理描写にもなっているのではないかなー?とか考えたりしました。まあ普通に次作の為にもったいぶっただけかもしれないけど。

こんな感じで、パッと見の絵の中に様々な情報が込められており、モノローグがなくても状況を想起させる作りになっていました。

この2大素晴らしい!があるからこそ、傷物語は従来の物語シリーズ方法論から逸脱しても、面白い作品に成り得たのだと思います。

 

なぜモノローグを使わなかったのか? なぜ声や画面で説明しようとしたのか……という点をつらつらと考えてみたのですが。

傷物語は「テレビシリーズの延長」という立ち位置を選ぶのではなく、「映画であろうとする」こと、「テレビアニメシリーズ化物語」ではなく「『映画・傷物語・鉄血篇』」であろうとすることを選んだからではないか? と思いました。

化物語をちゃんと「映画」として成立させるんだ! という姿勢の現れなんじゃないの!? と思いました。

ちょっと考えすぎかもしれないけれど、僕はそう思ったし、事実としてそう思って感動してしまったのだからしょうがない。

映画になろうとがんばってた! 傷物語がんばってたよ!!

 

上述した考えが正しいのかそうでないのかは別にして、実際問題としてモノローグを無くしたのは正解だと思いました!映画全体がソリッドな印象になっていたのも個人的にはとても好き。

そしてそれを無くした弊害として、テレビシリーズでモノローグで素早く処理していた感情の機微や状況の説明を、声や絵で濃密に処理しようとするために、全体として描写過多に陥ってしまい、テンポが悪くなってしまったのではないかと……。

ですが「これは『語る物語』ではなく『魅せる物語』だ!」という姿勢で作られた傷物語は、良し悪しはともかくとして僕はとても好きです。

 

しかし「映画」としてこの作品を描くのならば、たとえ三部作構成であろうとも一作での満足度はやや低いと思わずにはいられない。絵が素晴らしいのはいいけれど、やはり僕達は「映画として楽しむ」ために映画館を訪れるので、ある程度わかりやすいカタルシスが得られると嬉しいな……と思っちゃった。

具体的に言うと、戦闘シーンが観たかったんだよ!!「この作画で戦闘シーンやったらどうなっちゃうの!?」と思うことが個人的な興味でもあり、映画全体としての牽引力でもあったので、それがなかったのは超残念。いっそ火だるまになるところで終わってもよかったんじゃないかなーとか思っちゃった。そうすると「熱血編」の導入がめんどくさいんだろうけど。

戦闘は忍野がしていたけど、忍野が活躍すると逆に萎えちゃうんだ……。忍野は「表立った活躍しないけれど、作品内では圧倒的な強者である」という立ち位置が好きなんだ……。

 

あと三部作であることの是非ですが、まあ個人的には長くても前後編がベストだなーと思わなくはないですけど、鉄血編の最初の10分がすっげー良かったので、次もああいうの描いてくれるならまあ別にいっか……って感じです。

 

順序やまとまりを考えずに思うまま長々と書き殴ってきましたが、つまりなにが言いたいかというと……ぼくはフェザコンなので、羽川が可愛いだけで大体オッケー!!!

 

そういうことです。羽川翼の為にもう一度観に行ってもいい。

傷物語 涜葬版

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傷物語 (講談社BOX)

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 夏までに内容思い出すためにわざわざ原作を買った。

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