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だから勘違いした感想書いてても許してほしい

たまこまーけっとは本当に素晴らしいから、みんな観ればいいと思う

アニメ

 

久々の休みを利用して録画ハードディスクに永久保存してある「たまこまーけっと」を見返していたのですが、これがまた最高過ぎた。

たまこまーけっと (1) [Blu-ray]

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もう何回観ているかわからないくらい大好きな作品なのですが、なぜこの作品がこんなにも僕のツボを突くのか、ちょっと考えてみることにしました。

 

たまこまの素晴らしさは「なにも起こらなさ」にある

僕はたまこまーけっと(以下、たまこま)の素晴らしさをその「何も起こらなさ」にあると思いました。「事件性の乏しさ」や「起伏のなさ」と言い換えることもできます。

たまこまは日常ものにジャンルされると思いますが、他の日常ものに比べても圧倒的になにも起こりません。

商店街を舞台に女の子数人がキャッキャウフフしているだけのアニメです。

一話まるまる鳥がダイエットしているのを見守るだけの会回、とかあるんです。

劇的な展開も、なんらかの対立構造も、うずまく悪意も、なにもない!

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こんな感じで可愛い女の子がキャッキャしてるだけの圧倒的ヌルさ

 

世間一般ではこういったアニメを「ヌルい」と表現するのでしょうが、僕はこういった「ヌルい日常系」作品が大好きです。

数多ある日常系の中でも「たまこま」が僕の中で最高だと思う点は

登場キャラの負の感情が、ある一定のラインを超えない。

この一点に尽きる気がします。

 

日常ものといっても、例えば「あの花」とか「秒速5センチメートル」のように、視聴者の感情をガンガン揺さぶってくる作品もあります。

上記ふたつも大好きな作品ではあるのですが、これらは観たあとにドッと疲れがくるんですね。秒速なんて世知辛さに膝をつきそうになるくらいです

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

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しかしたまこまはそんなことはない。

観終わったあとに何も残らない。「あーなんだか幸せだったな~」で終わる。

視聴後「なんだか幸せな気持ち」になる。この一点に完全特化した作品、それがたまこまーけっとなんです。

 

たまこまの世界観は、基本的に作中の人物すべてが傷つかないようにできています。

作中の人物みんなが仲がよく、必要以上に争いあうこともなく、商店街のみんなやたまこのフレンズ達も、みんな穏やかな性格をしていて笑顔が絶えません。

まめだいともち蔵パパとの対立構造はあったりしますが、それもまた微笑ましいレベルだし、なにかしらの怨恨が残るなんてことは一切ありません。むしろあの天丼的な展開こそが「あのふたり、またやってるよ~」という微笑ましさを演出しています。

 

そして前述した「登場キャラの負の感情が、ある一定のラインを超えない」という点ですが、もちろん登場人物はいくらか悲しむし、涙だって流しますし、時には怒ったりもします。

しかしそれが「あー観ていてしんどいなー」と思わないんです。

 

一番わかりやすい例を挙げるならば10話

みどりが文化祭講演での振り付けが決まらずに煩悶し、バトン部のみんなに「大丈夫?」と尋ねられたところ、最終的にはみんなの前で泣いてしまう……というシーン。

おそらくたまこまの中でもっともシリアスなシーンじゃないかな……と思うのですが、ここでも感情表現がある一定のラインを超えないんです。

 

みどりが泣き出してしまうシーンですが、こういった感じで

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一瞬シリアスになりかけるものの……

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「鼻水」を出して、空気をゆるめて……

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最終的には誰かが誰かを責めるなんてこともなく、緩くギャグっぽい空気で事が収まり……そのあとに何事もなかったかのように文化祭は成功します。

 

この一連のシーンにこそ「たまこま」の素晴らしさは凝縮されていると思います。

ここで大事なのは「鼻水」を出す、という点。このバランス感覚が非常に素晴らしい。ここで鼻水を出していないと「シリアスシーンから日常への移行」に手間取ってしまうんです。

視聴者が「これはシリアスなの? それともいつもの緩い描写のひとつなの?」と決めかねているときに「鼻水」を出すことで「そこまでシリアスなことにはなりませんよー」という提示をしているのです。

この「シリアスとポップのバランス感覚」が非常に秀逸。

 

本来なら、ここはもっと感情を揺さぶったり、諍いを起こしたりしてドラマを作ってもいいシーンなんですよ。ぶっちゃけそうすることで容易に物語が動きますし、キャラの心情も深く描きやすくなると思うんですよ。

しかし「たまこま」はそれをしない!

それを描くことで得られる容易な感動を手にせず、最後まで緩くまとめる

ここで言い争うこともできたはず、しかしそれをあえてギャグ描写でまとめる!

これはあくまで一例であり、あらゆる場面でこういったシーンを垣間見ることができます。

 

例えば他にも最終話

商店街のみんなが「自分を引き止めてくれない」という点にたまこが怒るシーン、これもまた割とシリアスな展開ですし、状況もシリアスではあるのですが……商店街の人達もどこかほわほわとしてます。

たまこはこの信頼する仲間や商店街の人の想定外の対応にもっと涙をみせたり、憤慨してもよいはずなのです。

しかし、たまこが怒るシーンもあえてギャグ描写で描きました。

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このバランス感覚ね。

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ここで顔をうつさず足踏みの描写を入れるあたりも、本当に上手いんですよこの作品。こうやって重さを出さずに、憤りを表現しているんです。

やっぱり人が怒ってたり悲しんでいたりすると、こっちも疲れるじゃないですか。

こういった形で、観ている側に過度のストレスを与えない配慮がされているために、何度も見返したくなるわけです。

 

なぜこんな素晴らしいヌルさが構築できたのか

それはひとえに「デラちゃん」というキャラクターがいるからなのです。

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この作品でもっとも素晴らしいキャラ、それは「デラちゃん」

最初こそ僕は「なんだこのキャラ邪魔だな」と思わなくもなかったのですが、今となってはたまこまーけっとという作品の根幹を担っているのは彼だったか!!と考えを改める始末です。

デラちゃんというキャラが与えられた役割とはなんなのか?

彼はたまこまにおいて「場面転換」「雰囲気変換」を担うキャラだと思います。 

 

「場面転換」の役割

例えばなにかひとつのシーンを終えたときに、次のシーンにいきたい。もしくはそろそろ話を締めたい……そういった場合においてデラちゃんが「オチ」または「騒動のきっかけ」を作って物語のベクトルを転換することが多いんですね。

なにせたまこまキャラクターは基本的に全ての行動がヌルいので、放っておくといつまでも談笑を続け、いつまでもゆるゆるし続けます。いくらそこが魅力とはいえ、少しはストーリーを進めないと「お話」として成立しません。

そこで「場面を転換」させるキャラクターがデラちゃんなのです。

たまこまのキャラの中で彼だけが「異質な行動をしてもおかしくないキャラ」なので、いくらでもトリッキーなことができる。そのもちまえのキャラを活かして、話をドライブさせていく。

「きっかけ」を作ったり、「ことば」を与えたり、全ての行動の根底には彼の活躍があるのです。

 

つまり、たまこまのストーリーを動かしているのは、基本的には「デラちゃん」なのです。

彼がトリッキーな行動にみせかけた「進行役」をやっているからこそ、登場人物たちは思う存分ゆるゆるふわふわし続けられるのです。

彼がいてこそのたまこまーけっとだからいらない子とか言うんじゃないぞ。

 

そして「雰囲気変換」

むしろ彼の真骨頂はここにあるのではないか……と思う次第です。

デラちゃんはその持ち前のマジ○チテンションを活かして、場の空気をデラ色に変えるという役割をもっています。

キャラクターの心情が吐露され、必要以上に場の空気が重くなりがちなときに、騒いだり名言めいたことを言ったりして、その場の雰囲気を変えているのです。

 例えば前述した10話でも、みどりの話が一区切りしたあとに、突然騒ぎ出して「場の空気を変えているのです。これがデラの「雰囲気転換」です。このシーンは騒ぐことでひとつのオチをつけているので「場面転換」もこなしています。

このシーンはかなりデラの役割が如実に現れていますね。

 

 それに姿かたちがファニーなので、画面に登場しているだけで「絵がシリアスになりすぎない」という役割もあります。

姿かたちが太った鳥なので、突然暴れることにも違和感がそれほどないし、名言めいたことを言ったとしても、重く響きすぎない。

デラちゃんがいるからこそ、たまこまーけっとワールドの秩序が乱され、そして正されているのです。

彼の存在なくしては、このアニメのこの雰囲気は成し得なかったことでしょう。

 

まとめ

まあここまで書いたことは一切合切全部忘れても大丈夫です。

「なんでたまこまは素晴らしいんだろう?」という疑問をちょっとでも氷解できたらなと思いながら書きましたが、実際のところそんなことはどーでもいいんですよ。

ただたまこまを観て「あーいいなー」と思っていればいいんです。

 

で! ここまで「なにもない作品だー」と書いて前提を覆すようなことを言うのも大変恐縮なんですが!

完全に「なにもない作品」ならば、繰り返しの視聴に耐えられるはずもないんです!

しかしたまこまーけっとは実際問題として物語性は薄い! では薄くなったそこになにをブチ込んでいるのか。

言わずもがな、それは「キャラクター」ですね。

「人間味」と言い換えてもいいかもしれません。

たまこまの素晴らしい点において、その人物の「挙動」があげられます。会話中や食事中、歩いている最中にも「それ必要?」といわれる挙動を何度も繰り返しているのです。普通にみていると見逃しかねないレベルの細やかな動作です。

いわば「雑味」と呼ばれる類のものかもしれませんが、これらが組み合わさることにより、さらに「なにもなさ」を如実に感じることができるのです。

しかしながらこれを語ると更に長くなるので、また別の機会にします。

 

こんなクソ長い記事を読んでくださってありがとうございました。

でもまだまだ言い足りないことはいっぱいあるんです!!!!!!

 

「このアニメにはなにもないだろう」という気持ちを取っ払い、「このアニメにはなにかあるだろう」という観点でこのアニメを見始めると、また大変いろいろな発見があるのです!!!

 

 そして、逆に「たまこま映画だ~」と完全に油断していた僕の感情を完全に揺さぶってきた映画が「たまこラブストーリー」です。

こちらは逆に青春そのものにフォーカスを絞った「感情揺さぶり型の映画」です。

また感想は別で書きますが、たまこまとは完全に逆のベクトルで描かれた傑作映画だと僕は思います。

しかしながら、ちゃんとたまこまーけっとを踏襲しているという……語ると長いので次回!!!

 

 もう一生観るような気がしているので、これ買おうか本当に迷ってます。

あああああ、2期~~~2期~~~~!!!!!きてくれーーーーー!!!!

でもたぶんコレ以上やることない~~~~~!!!

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